大学院で臨床心理を学んでいたころの話です。模擬カウンセリングといって同級生同士がクライエント役とセラピスト役をやり(クライエント役のときは話していい限界を超えない程度で、本当の悩み事を話します)、面接を録画して、後日試写会のようにみんなでそれを視聴し、先生や同期がコメントするというカリキュラムがありました。なぜあの場面でその言葉をチョイスしたのか、とか、なぜクライエントの言葉にあのような表情を見せたのかとか、セラピスト役に対しては微細に指摘が入り、自分自身の考えの癖や対人関係上の癖などいろいろなことが理解できる良い機会でした。しかしなんといっても、自分が長々と話している姿を客観的に大画面で見るという経験は、芸能人でもない限りなかなか体験できないことです。
「すごく悲しい話してるときに、笑顔のときがありますね。感情と表情が一致していない。」
そう言われたとき、自分の心を守るための鎧のまとい方を知られてしまったような、とても恥ずかしい気持ちになり、目のはしがじわっと熱くなりました。2人の心理学者が考え出した概念に、ジョハリの窓というものがあります。
① 自分も他人も知っている自分の性質(開放)
② 自分は気付いていないが他人は知っている性質(盲点)
③ 他人は知らないが自分は知っている性質(秘密)
④ 自分も他人も知らない性質(未知)
わたしのエピソードは、ジョハリの窓でいう、「自分は気づいていないが他人は知っている自分」を知った体験でした。いっぽうで、新しい自分との出会いは、いまの自分の成り立ちへの理解を深めることにもつながりました。なぜ悲しいときに笑ってしまうのかを自己理解したとき、そんなふうにしてきた自分を「よし、よし」としてあげたくなりました。弱い部分も自分なんだと素直に受け入れることができる、そんな作用も自己理解の深まりにはあるのでしょう。
ジョハリの窓を見ていると、自分を理解することはとても難しい作業のように思えます。そして、知らない自分をしることは怖い気がしますね。自分も他人も知らない自分って、いったいどんな自分なんでしょうね。
グランブーケでたまにこういうことをワークするのも、良いかもしれないですね☆彡
グランブーケ 渡辺