心理の現場で使われるフレーズに「リフレーミング」というものがあります。「リフレーミング」とは、理想的な状態に向かうために、ものごとを認知する枠組みを別の枠組みで捉え直すことを意味しています。心理評価や心理面接の際に気が付いたご本人がもっているのとは別の視点、別の枠組みでの解釈をリフレーミングして返すことがあります。例えば、親御さんが「子どもが動き回って落ち着かなくて・・」と言うのを「いろいろなことに興味があるんですね」とか、「小さなことも気になって不安で・・」と言うのを「周囲のわずかなことにも繊細に気が付ける感受性の高さがあるんですね」などなど。いろいろな人が、大切な人を励ましたり応援するときに、同じようなことをしている経験があるのではないでしょうか。
なぜリフレーミングについて思い出したかというと、先日、ある突発的な激しい出来事が起きた際に子どもが冷静な振る舞いを見せたことについて家族と話しているときに、一方は「寛容だよね」と言うのですが、もう一方は「鈍感だよね」と言うのです。同じ出来事に対して、二人の人間の感じ方ってこんなに違うもんでしょうかという大きな違い。寛容だと思ったほうの感じ方は、こんな激しい場面で落ち着いていられるなんて寛容だなと。鈍感だと思ったほうの感じ方としては、こんな激しい場面で反応薄いなんて鈍感だなと。人によって、ものごとの見方というのは百人いれば百様あるというのを改めて実感した出来事でした。また、このようなことを広げて子どもをみる視点について考えていくと、例えば「本当はやりたい係があったけど、お友達にねだられてゆずってしまった」というのは主張性の無さに見えるかもしれませんが、協働が必要な場では非主張性が集団の和や効率を促進しているかもしれません。そのものごとは「ひとつ」だけど側面はたくさんある、、、いろいろ思考が広がってきてしまいましたが、ここまでにします!
自分基準でのものの見方と人の見方を同じテーブルに出してみると、「そういう考え方もあるんだ」「わたしも同じように感じる」など人と自分の違いがわかるとともに、自分自身の見方についても気が付いたりしますね。
今回は、家族との会話からの気づきの話でした。
そうそう、リフレーミング辞典(言葉の変換リスト)というのを見つけました。暗記ものじゃないと思いますけど、ご参照まで(^^)
ではまた
グランブーケ 渡辺 香織